オット君と私がどうやってボビーの障がいを受け入れていったかを書いてみます。と言っても、ごく初期段階のことね。「自閉症」ってのがわかった頃の受容の話です。

昨日、オット君に「どうだったっけ?」と聞いて話したのをまとめてみます。


「子供に障がいがあったらどうする?」という話は私が病院で出生前診断をやるかどうかの書類を貰ってきた時に出ました。
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当時は2007年ですから、今あるような新型の診断では無くて、羊水検査の事でした。多少胎児へのリスクがあるやつです。もちろんオット君と話し合いました。
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そんでやらない事にしました。
今の新型のだったらやったかもな。

ちなみに私たちはどんな結果、判断も尊重してます!

ただ当時の検査環境、そして私たちの場合は「たとえそうでも大丈夫だよね。」という謎の自信があったんです。妊娠は順調でなんの問題も無し。敢えてリスクを取る必要は無いんじゃないか?というのもありました。

検査でどんな障がいも診断できるわけでもないし、人生誰だっていつ障がい者になるかもわからない。そんな話もしました。

まあ結果、検査ではわからない自閉症だったわけですが。

私もオット君も最初からこんな人でした。
2人とも元々真面目にサラリーマンってタイプでも無いし、国際結婚してあっちゃこっちゃ行くようなアドベンチャー野郎だし。未知の物を恐れないタイプっつうんでしょうか?

いい具合にバカなのです!
だからアッサリ受け入れました。
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初期段階よりも、その後の受容の方がきつかった。
発達障がい児の親の場合、将来の予測が立たないじゃないですか?どの程度までの学力になるのか、社会に出られるレベルになるのか、そうでないのか…だから何度も何度も繰り返し悩みます。特に小さいうちは、医師にも先生にも判断できませんからね。


ここが苦しいところでした。

これに関しては、私のこれから書くストーリーに何度も出てくる話題になるでしょう。


今はある程度見通しも立ったので、とても前向きです。
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そりゃボビーは、高校卒業資格も取れないし、不器用だから、できる仕事も限られるでしょう。州の保護下にずっと置かれるでしょう。
でもいいじゃん!
彼は彼なりにハンディキャップがあっても、仕事したり趣味やったりして生きていくんだから。

幸せならいいじゃん!
いや、むしろ勝ち組?笑

日本だと残念ながら、いまだに「税金の無駄」扱いだったりしますが(笑)、

私たちは先進国に住んでいるのですよ!

こういう人を支えるシステムは社会の成熟度の証。むしろ貢献しています。

もちろん本人も家庭も個人で努力していますし、私たちがいる事で、社会はより安心安全で強くなっているのです。米国は少なくともその辺の認識が高く、今まで誰も文句を言わないどころか、みなさん私たちが適切なサービスを受けているか心配してくれます。

私たち保護者は、自らでは主張できない子供のために戦うのが、ほとんど義務のように考えられています。なので制度、法律を勉強し、自治体にも民間にもしっかりと声をあげます。だってそうでなかったら、誰が言うの?
社会もそれを受け入れています。

日本ではこういうのを「モンペ」と言うらしいですね。

英語では権利擁護を"advocacy"(アドボカシー)といいます。私たちは自分たちだけでなく、アドボケートと呼ばれる専門家や弁護士を雇ってバックにつけてます。

そんで私たち自身ですが、なかなか思うように仕事ができなくて、一般的なキャリアは諦めた人生です。
これも苦しかったです。

しかしですね。おかげで夫婦で開き直って無茶苦茶強くなりました!今は2人で零細企業やってます。

次男は今9歳で「お兄ちゃんは治るわけではないんだ。」というのがわかってきたとこです。
私たちは、この子に将来に負担をかけないよう、ちゃんと分けて考えています。法律的にもキッチリ整えている段階です。

これも日本と米国の違いですが、家族であっても自立した成人は、別個。

まだまだ課題はありますが、

みんな!障がい児育児を恐れる事は無いぞ!
これはこれで楽しいぞ!


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自分たちで切り拓いていく!
問題を解決していく!

受容が進むとこんな奴になります。