しばらくABAの説明の方で脱線していましたが、東京療育の話に戻ります。
そう当時の私たちはまだ「ボビーは普通に喋るようになる」設定でした。これを「受容ができていないから」と捉える事もできますが、「本当にそうなると思っていたから」とも言えます。

これは発達障害の子を持つ親の特有の悩みです。

とにかくどうなるかわからない。
そして、私たちは米国の情報を元に、

「今すぐABAをやらねば!」

という焦りがありました。これは間違ってはいないんです。一般的に療育は早期の方がいいですからね。Saltbox_0013_8
しかしあてはありませんでした。
今はこの9年前の状況と較べると、だいぶ良くなりましたね!皆さん恵まれていますよ!

私たちは焦り始めました。
とりあえず私は、ABAの本やネットで基本的なアプローチの仕方を学び、行動や発語を促すように心掛けていました。クレーン現象がある子だったので(今もまだたまにある。笑)、わざと高いところに欲しいもの(基本おやつ)を置いて、手を引っ張るだけじゃ貰えないようにしたりしていました。

その際に、PECS(Picture Exchange Communication System)の絵カードをネットで検索してプリントしたり、
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自分で絵を描いたりして、言葉と絵が一致するように努力はしていました。音声は発する事ができる子でしたが、意味がある使い方ができませんでしたので、絵カードを渡せるようにしようとしたんです。


しかし、なかなかうまくいきませんでした。11歳になった今でもそうなんですが、手に何かを持つことを好まない子なんですよね。特にカードやパズルは苦手で、すぐにポイっと投げてしまう傾向があるんです。

これは本格的にこっちの病院で後に検査をしているのでそのうち別で将来書きます。(9年間にもう書く事あり過ぎで。w)

なので当時も私が手に持って見せる感じでしたかね。一応、日本語と英語と両方でやっていました。

当時は全然進展が見られなくて、「私は何をやっているんだろう?」状態でしたが地道にやってました。私にちゃんと意思を見せないと、簡単に要求を通さないようにはしていました。何らかの形で意思を知らせたら、要求を通す。その際には絵カードを使ったり、私が単語を言う。「ごはん」とか。ABAって言ってもそのくらいの感じだったかな。だって他にどうしようもないんだもん。

その時はほとんど出なかった言語ですが、なんとこっちに来てから出てきました。「たべる」とか「ごはん」とか、日本語が。日本語を使わない環境で!
という事は、学んだ言葉が出てくるまでに相当時間差があるってことよね。


だから言ったでしょ~。
気長にやらないといけないのよ!
(その記事はここ

こっちの先生に「日本語の質問が時々出てくる」って言われてた時、「たべる~?」と私の口調で言ったのを聞いて笑いました。音声模倣が出てくるまでに3年かかった!この子、ホントこういうの多いの。出てくるまでに年単位かかるの。言語だけじゃなくて行動も。

今だから笑い話ですが、当時の私はまた泣きながら、保健所の看護師に相談に行きました。

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どうしたらいいんすか?と。

区の発達障害センターでのこと、子育て広場は幼稚園選びで盛り上がっている中、自分はもうそれどころじゃ無い事、オット君はサラリーマンで時間が無いうえに、日本語できなくて、システムもよく解ってない事、次男がまだ赤ちゃんで、私自身も身動きが取れない事、そして同じような状態のお母さんは民間療育を考えている事、一通り説明しました。

それはもう、何をどっから手をつけて良いのやらで、盛沢山でしたが、保健師さんはある提案をしてくれました。

次回に続く!


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