前回はボビーの聴覚過敏について書きました。


自閉症の方は過敏や鈍麻がありますが、この対応の仕方って大まかに分けると、


1.そういう問題を本人と周りが避ける。対策する。
2.周りが理解し、配慮したり取り除いたり、他の方法を用意する。

になると思うんですよ。

でもさ。現実はできないんだな。これが。
だって社会はそんなに丁寧にできちゃいない。

もちろん障がい者の不便を理解することは、最終的には誰もが暮らしやすくなることだから、2はとても大事。

これができてこそ先進国。

1も案外難しい。特に過敏も鈍麻もタップリあるタイプで、会話ができないボビーみたいなのじゃもうお手上げさ。

で。最近の「ニューロダイバーシティ」とか「インクルージョン」を見ていると、


また重度無視。

って思うの。悪いけど。
それ言ってる人が重度を対象除外にしてね?って。

ボビーの能力見極めて、大手企業に就職とかさせてくれんの?
静かな映画上映とかやって自分たちが満足してるだけじゃないの?

ちなみにボビーは楽器店に行くと、DJ用品売り場の大音量スピーカーとライティングとディスコボールコーナーのところで大はしゃぎさ!

静かな映画館とか、逆にうちら入れない。
ディスコ風プラネタリウム作って!

…とかいう要望きても、社会は困るわけで。笑

実はボビーは変に配慮をしない学校にいるんです。
これがちょうど1年前に書いたボビーの特徴に関する記事。


これを今日読んで自分でもビックリしました。

この1年でだいぶ偏食は無くなっているんです。
プリングルス事件。





突発的に走って逃げるのはもうほぼ無し。
家族はもちろん、他人へのアイコンタクトも増えて、意識が繋がっている部分が増えて来た。



この学校はね。

手にスティミングのおもちゃなどを持たせない。

イヤーマフ使わせないどころか、そういう子が楽しそうにステージで楽器演奏したり、体育館でバスケしたりしてる。

一輪車とか持久走とか鉄棒とか、ふにゃふにゃした自閉症児に絶対無理と思った事もみんなできてる。
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偏食があっても給食しかない。食べないといけなければ食べる。笑 もちろん小さくして、好きなものと交互にちょっとずつだけれどね。

癇癪が起きたら、スタッフが移動させたりはするが、特別な部屋とかも無い。たぶんその場で対処できるようにするため。

見た感じ普通の中学校とか高校の雰囲気。
いい感じに簡素。

クラスルームは5人程度の少人数だが、普通に机とホワイトボードの集団授業。他の生徒の前で答えたりする。

行動を餌で釣らない。褒めるのは本当に「やった!」って時で、普段は当然のようにやらせる。

普通にあちこちにお出掛けする。特別な場所ではない。

自立支援のトレーニングも実践的。就労トレーニングも他の学校よりもガンガンやる。

そしてスタッフが身内のように温かく見守ってる。
親がいないとこで切磋琢磨する仲間やライバルがいる環境がいい。

画期的なんです。
変なトリックが無い。

いい?
そしてここが私が心配している事。
アメリカのFC周辺の人々はね。
どさくさに紛れてFCを「ニューロ・ダイバーシティ」だと言い出してるんだわさ。

追加:ウィキの批判のところを読んで欲しい。そしてFCのシラキュース大学が絡んでいるとこも注意。

要するに、この子たちは本当は賢いんだから、重度じゃない人が盛り上がってる「ニューロ・ダイバーシティ」に入れろやって言う…差

もう頭こんがらがってきたわ。

元ファシリテーターも90年代の「インクルーシブ教育」ブームのどさくさでFC来たって言ってたし。


みんな気を付けてね。


「ニューロ・ダイバーシティ」で脳の多様性を認めようというのはいいけれど、「そういうのがある」という認知以上に何ができるのだろうか?

私は定型の「変わり者」の分類に入る人だが、女性蔑視や人種・外国人差別、そしてボビーを連れて歩くという経験してきた中で言えるのは、まあ社会はクソってこと。

期待しない方がいい。

打ち破るには本人たちが実績を作っていくしかない。

米国の歴史。

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