日本でもこの辺が話題になっているようですね。

私は起きた事柄自体は何も知りませんので、ここで聞かれても答えませんが、ADA(Americans with Disabilities Act/アメリカ障害者法)に合わせた工事は20年前に仕事でいくつかやったな~なんて思い出しました。

日本のバリアフリー法みたいなやつね。
仕事しながら勉強になった。

こういうのって実際に関わらないと気が付かないですよね。

私もそうでした。
ましてや障害児の教育権利なんて…。

米国の場合、特別教育が必要な子はIEP(Individualized Education Program)という個別指導計画を、学区と学校と話し合い合意します。


これが大変なんです。

日本でも似たようなものがあるでしょうが、こちらの場合は、医療や教育の様々なレポート、数値、学校内、学校外での過去の出来事の記録をエビデンスとして、互いにガンガン交渉するわけです。
我が家のように重度の障害者がいる場合は、それはそれは複雑なプロセスになります。

まあこれを読んでください。


今年もまたこれをやり終えたところです。

今年は学校はすばらしく、学区はミスしまくったので、弁護士さんに「そこツッコんで、もうちょっと学区に言ってやってくれないんですか?」って聞いたのですが、「まあまあまあ、仰りたいことは解りますが、いいディールのために、そこは諦めましょう。」
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ゲームですから。

みたいな会話になるんですよ…。
心の中では納得できなくて泣き叫んでいます。笑

でもこうやって弁護士さんは、私達をなだめ、交渉を淡々とやって、私達も学区もギリ納得できる落としどころに持って行ってくれるんです。

こんな交渉、親は無理。笑

この辺の難しさ…。

言わなければ何も始まらない。

不便とかってレベルでは無くて、命に係わることもあるわけですしね。うちなんか割とそういう話です。
だからと言って何でも通るわけでは無く、無茶は言えず、様々なエビデンスと記録を提出し、こちらも努力と理解を示すわけです。

障害がある、家族はそれを支えながら暮らすというハンデがありながら、さらにこういった交渉(お金かかる)にエネルギーと時間を割かないと、健常者には当たり前の生活が得られない。

でもこういう世界を知らない人たちからは、「当事者の事は私にはわからないから」とか「障害あるなら諦めろよ」で放っておかれる。

しんどいですよ。実際。

これって別に障害に限ったことじゃなくてね。

例えば最近話題のアジア系偏見問題。
これもそういう事です。
声が小さい。ハッキリした証拠が出しにくい。言った方が叩かれる。理解あるサポートも少ない。

「アジア人の事は私にはわからないから」「アジア人は諦めろよ」って言われたら、ひどいと思うでしょ?笑



少なくとも米国の場合は、意見を言ったり交渉するのは当たり前の世界なので、一歩が踏み出しやすいです。公正さを維持する部署や担当者、第三機関の照査みたいなのもよくあります。議員が積極的に庶民の話に耳を傾けたり、直接伝える機会もあります。

こういった声が集まるおかげで、安心安全確保の理由ができて、社会システム改善や技術開発して新しいビジネス、経済が生まれ、生活の質に繋がるわけですよね。
いい事なわけです。

しかし実際は、立場が弱い人やマイノリティほど言いにくいですよね。

みんな~もうちょっと気が付いて~。

…こんな想いで会話できない人を支えてます。

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